活動報告

 

2022.11.27 本部小祝講師

1号 元重




一号刀
太刀 □□長舩住元重(茎尻在銘)
《姿 恰好》2尺三寸位 本造 踏張抜ける 反りやや付く(先にも付く) 中切先詰り心 身巾やや細い 重ね巾に比して厚め 行棟 鎬巾やや狭く高さ並                        《地肌》  板目に杢目交じり 元に柾目流れ強く入る 白く乱れ映り立つ 
《刃文》 匂本位 身巾に比して焼き巾並 丁字に角張る五の目交じりで小丁字足、小五の目足が入る、元に坂掛かる五の目が大きく口を開く様に目立って入る 元は匂口締まるが中よりは匂い口うるんで、匂い口やや沈む 
《帽子》 立ち上がり浅くのたれる    先小さく尖り心で返り小さい 刷毛心少し出る           《茎》磨上げ 茎尻切 元鑢目不明 目釘孔三           

   【所見】姿恰好で反りやや深く先にも反り付き、  中切先詰りこころで踏ん張り抜けるので、鎌倉末期頃まで上がる姿と見え、肌には乱れ映りがあることから備前物と考えられ、丁字乱れや五の目が入る事からも備前物と矛盾する事はないと考える。               ただ中より上は匂い口がうるんで刃文が染みたように見えるので古備前、古一文字なども考慮したのだが、元の刃中に2つ大きな坂丁字が口を開いたように入っており、保存会系でよく言われる犬刃状態が見られ、全体に坂心有ることから上がっても鎌倉末期までと確信できる。 小詰む坂心の丁字乱れから景光は候補筆頭だが、元に流れ柾目肌出ることから除外される。  みた匂い口を沸ているとみると長舩傍系では沸つく事、立上って浅くのたれるイセギ帽子様な事から、之は近景かと勇んで入札すれども、国入能❢。             矢張りこんな柾目流れ肌は近景に無いよねと納得した ならば優しい姿もあり得る元重かと2札目で個名当たり🎯でした。           

《考察》一見宝刀然とした姿だが、先にも反り付き坂心の犬刃が入る中切先詰り心からは時代は鎌倉末期と確信できる。乱れ映りと丁字乱れから備前物であろうと考えつけば、肩落ち五の目ではないが元重の選択枝は出て来よう。                         この考え方を初心者は辿っでいただきたいものです。        又も少し突っ込んで言うならば、本刃は染みてウルミ心だがさらに減っていると考えねば成らぬ帽子が、ほそくは成っているとはいえ残っている事のバランスの悪さに不審感を感じるものです。          銘部の朽込や鑢目が不明瞭なことも嫌な感じはします。       しかしながら鎌倉時代の刀剣を手に取って鑑賞出来るとは、なんと贅沢な趣味でしょうか!

  保存をして持ち伝えてくれた幾多の先人達に対し、感謝の念を禁じえません。  (文責 髙橋宗) 

2.延壽

3.長光

4号刀 銘:村正
刀 鎬造り 二尺二寸五分 身幅やや広め、反り重ね尋常(先の重ね薄い)、中切先、先反り 
元は互の目が三つ続いた箱刃風乱れ、先は直刃調のたれ、表裏の刃文そろう、匂口沈む、匂出来
帽子小丸に返る
板目肌 やや肌立つ
茎生ぶ タナゴ腹型   森記

5.清光

2022.10.23 会員持ち寄り会

1.号 関兼宿

 

 

2.忠広

 

3.之定

 

4.額銘 之定

 

5.肥後国有宗


 

 

 

2022.9.25 中原講師

初心者講習

1号刀 短刀 銘 平鎮教
❬姿・恰好❭ 平造 八寸強 先反やや付 く フクラやや付き心 身幅(長さに対 し て)やや広目で先巾少し落ちる 重ね 尋常 行棟

❬地肌❭ 板目に杢目交じり肌、流れて浮 き心と無地風にゾロリと剥ける様な所 がでる 全体に白映り見るが斑(まだ ら)となる 刃中に柾流れ刃肌立つ

❬刃文❭ 燒巾やや広目 小沸出来(匂出 来 に小沸付くとも言える) 中直刃仕 立て燒頭に小五の目腰開く乱が所々に 連れるを見る 匂口締まり心不足しやや冴えも不足する

❬帽子❭ 燒巾やや深く先やや尖り心 返 り少し長めにスッと消え落ちる 表裏 やや異なる

❬茎❭ 切鑢 栗尻 棟小肉・切鑢 目釘 孔2個

[考察] ❬姿恰好から❭ 先反付くので南北朝期以 降と見るが、重ねは身幅に対して薄くない造込みで南北朝期は否定的となる。新々刀は地肌から否定的で、新刀に短刀は少いので選択されなく、室町期の末古刀であろうと考えられた。長さ、重ね、反りから末古刀の鎧通ではないとも考えられた。しかしながら鎧通型短刀以外にも、末古刀には延文貞治型の短刀もまた有るので、本刀はこれに該当(延文貞治型よりやや短いが)すると思われた。

❬地肌から❭ 肌が立ち心で流れて、ゾロリと剥ける肌は芯鉄で黒く、また他部には白けもみて、あまり上等な肌ではないなと感じ、五箇伝本国物ではないなと考える。私はここで大きな見落としをしていた事を申し沿えておきたい。刃中に刃肌が立ち『 刃寄り柾』を呈していたのを見落としていたのである。末古刀と考えて刃寄り柾の肌あらば西海道物である確率が高くなる。言い方を変えると、それで外れたとしても言い訳が立つのである。『刃寄り柾』を見逃した為に私の入札は迷走するのである。

❬刃文から❭ 捕らえどころのない刃文で「… の刃文だからこの刀匠、この流派」とは言えそうもないと考えて困り果てた。沸本位でないので相州伝ではない、のだが、ここでも見落としてた事があった。本刃にはほとんど無いのだが、指裏のフクラ下に匂崩が3、4個出ていたのである。この地肌『刃寄り柾』と刃文『匂崩』の見落しは決定的な粗見であった。この2つのキーワードから一門、一派がほぼ絞れるのである。誌上鑑定で『ザングリとした肌』と枕詞があれば堀川国広を指し示すのと同様である。

❬帽子から❭ 少し先が小丸でなく、尖り心でスッと落ちて帰っていて、表裏が少し異なる等が見られる。個人特定の個性はないが、帽子が本刃より深く残っていて返りもあるのは平安、鎌倉、南北朝よりも時代が下がって若い事を示していると考えることも可能で、末古刀への入札に躊躇がなくなる。

❬総括❭ 姿恰好から末古刀の延文貞治型の短刀と考え、地肌から高位・高作ではなく、五箇伝本国でもない脇物と考えられた。刃文も高位作とは考えられない。しかしながら、『刃寄り柾』『刃中の匂崩』から末古刀・西海道の高田物と入札出来たのである❗️因みに私の札は①法華一乗②嶋田義助でとまってしまった。両者とも確信あっての札ではない。苦し紛れの探りの札であった。見ずらかった『刃寄り柾』と少かった『刃中の匂崩』の見落しは致命的でした。この事から、いかに正しく多くの情報を鑑定刀から得られるかと言う事が大切で、その為に鎌倉刀剣会で楽しく刀剣鑑定鑑賞のお稽古をしていると言うことをご理解下さい。これは人生にも正しい多くの情報が大切であると言えると思います。そして今回のコロナ禍にも言える事と実感しています。(文責 髙橋・宗)


4号

銘:九州肥後同田貫上野介
刀 鎬造り 二尺三寸強 反り尋常
直刃仕立て、所々に箱刃入る、刃中に砂流し匂崩れ入る、箱刃の表裏の位置は揃っていない、匂口しまる、匂出来
帽子小丸に返る
板目肌 いい地鉄だがやや肌立つ
茎一寸強磨り上げ 
講師の先生曰く、身幅広く、反り浅く、大切先のがっしりした同田貫は、数打ち物。
同田貫でもいい作品は、末備前物に似ている、とのことです。



5号

表 藤原義正帯
  奥和泉守忠重作
裏 薩州住

刀 重い。
刃文 低めの乱れ、沸出来。匂口均一に整う。帽子一枚風。
薩摩の乱れは本刃低いと帽子高く、本刃高いと帽子が低いようです。
忠重は助広の門人。
藤原義正は近衛家の要人。近衛家と島津家は関係が深い。

小澤

2022.8.28 中原講師

一号: 短刀 重吉 (大隅国)
[姿、格好] 九寸前後 平造 僅に先に反りつく やや広幅 巾に比して薄目の重ね 真棟
[地肌 ] 小板目に小杢目交じり細かく沈む 刃寄り板目に静かに流れるが棟寄りには流れ肌は見ない 薄く焼だし映りをみるが全面的に白気心で冴えきらない
[刃文] 匂い出来に小沸付く 糸直刃 所々にホツレ心 匂口締まり心でやや明るく匂口に叢がない
[帽子] 細直刃の刃文のまま入り先小丸で倒れ気味に返る 短く返りすっと消える
[茎] 筋違 栗尻 棟中肉(筋違)
❬考察❭
僅に反り付くやや身幅広い心の寸延び短刀である。この長さと浅い反りの姿は鎌倉末期からあるが、そうならば重ねがより厚い物が多い。また重ね薄い寸延び短刀は南北朝にも他見するが、細直刃、倒れた帽子等は室町期迄時代が下がると見るべきとは、五百年からの歴史と伝統を培ってきた本阿弥家の教えである。ただしこの教えには例外がある。細直刃や倒れた帽子、丸棟は場違い物と見るべきだが、相州上位(国光、行光など)には例外的にある 、また本場物では善定兼吉には例外的にある、の教えである。 よって細直刃や倒れた帽子からは場違い物を想起される。つまりこの姿は南北朝の姿を写した室町期・末古刀と考えるべきとなる。末古刀では南北朝の寸延び短刀や小脇差しに平造りの物がよく見られるのである。勿論相州上位物とは、地と刃の冴え不足から充分に区別出来る。さてそれらを踏まえてどうこの短刀を見るかだが、良出来である。私は結果的に地肌に尽きるのではないかと考える。元に焼だし映りでて白け気映り入り、板目に杢目交じりて刃寄り肌流れる 処から、西海道を第一に想起するのである。しかしながら西海道物でどこの国であろうか?全くの手探りで室町中期以降の直刃を焼く刀工を挙げるならば、北から列挙すると、筑前・金剛兵衛尉、 筑後・末三池、 豊前・筑紫信国、筑紫了戒、 豊後・平高田、 肥後・石貫、 薩摩・末波平等があるが、何処に入札しても通り能候で、九州一周の旅であった。 隅州重吉は大神派と呼ばれ、地元豪族肝属氏が薩摩の島津氏に降してからは薩摩の波平派に合流した様です。重純、重鑑、重並等もいてかれらも同族です。波平は綾杉肌で有名だが、この重吉短刀では綾杉肌は全く認められません。必ずしも波平イコール綾杉肌ではありません。僅に板目が流れる位のものもあります。他に佐藤清左一派は末備前かと見える乱れ刃を見せる者たちもいて、波平派も様々な作風を呈する腕達者達です。天狗の鼻折用にはうってつけの良出来の短刀で、鎌倉、南北朝の入札もあった程でした。来、粟田口、新藤伍などの有りもしない幻を追いかけるのではなく、確りと新実在の価値を見抜いて、楽しんで欲しいものですね❗️(文責 髙橋・宗)

 

2 大和介正次

 

3.藤原貞行

脇差 長巻直し造り 先反りつき重ね厚め 地鉄肌たちハモン直刃仕立て,葉目立ち匂い口締まる

時代 寛永頃、 肥後 先反りつく→地方作とうのはあやまり


      安田記



4号刀

銘:河内守藤原國助 (初代)
刀 鎬造り 長さ二尺二寸強 反り尋常(やや深め) 二筋樋
大湾れに互の目丁子が混じる 焼き幅広い 小沸出来
帽子 小丸下がり 表地蔵風に湾れて返る 裏直に返る
板目肌 良く詰んだきれいな地鉄
茎 磨り上


5号

(下原)康重

 

2022.7.24 保存会 萩野講師

1.備州次光

 

 

 

 

2.寿命

 

 

 

3.河内守正広

 

 

4.加藤綱俊

銘:加藤綱俊造  文政十一年二月日
脇差 鎬造り 長さ一尺二寸二分、反り二分五厘
濤爛乱れ 焼頭に互の目や丁子が二つ~三つ入る、沸出来、帽子浅くのたれてやや深く返る
よく詰んだきれいな無地風の地鉄
                          森記


 

 

 

5.円寿国秀

 

銘 延寿国秀 
  文化五戊辰二月日
刃長 2尺3寸6分
反り 6分6厘

元幅広く、 元重ね厚く 重い、先幅狭い。
太刀姿に見える。
地鉄模様見えるも、地景大きく流れる。

重いこと、地鉄詰まる、作り肌で、新々刀とみる。
刃文は三本杉風で、所々、沸(にえ)づき、荒沸となる。
ニエが強いので薩摩とも思うも、
三本杉風の刃文が水心子の濤蘭を思わせ、水心子に入札。
国秀は水心子の弟子とのことで、同然でした。
                          小沢記

 

2022.6.19 保存会 萩野講師

 

1.源盛利

 

2.康継

 


       山崎記

3.和泉守国貞

和泉守国貞(2代) 1尺七寸8分 反り三分七厘

小板目詰み鎬地柾

焼き出しあり、沸出来互の目華やか物打ちあたりの焼きが高い 帽子 こまるさがり

入札所感

元、先やや幅差つき、反りややついているので寛文新刀にみる。元に焼きだしあり、鎬地柾、地金つんでいるところから大阪新刀といれるべきであったが、江戸新刀とソケンし、帽子横手の刃とりから虎徹も考えたが、大肌みられす、作風のにている和泉守兼重へ入札 否判定

よくみれば焼きだしは直にながい江戸ではなく、短くすぐに上から乱れる大阪やきだし、地鉄もつんでさえており一流刀工とみて、帽子もこまる下がりになっており、匂い口もやわらかいので二の札で国貞に入札、当たりを得たが、本音を言えば奉仕の形状から初代と思われ、2代との区別はできず。判者のおまけに感謝

                      以上 安田記

管理人追記

足の太い互の目から虎徹入札が多かった

親国貞

 

井上真改

 

4号刀

 

銘:兼舛
短刀 長さ一尺弱程度、やや反りつく
互の目丁子(兼房乱れ)、匂出来、砂流しかかる
板目肌、杢目混じる、刃寄り柾目、大肌
茎:檜垣鑢
               森記

5.正直

上総国住人正直


刃長 2尺2寸9分
反り 浅い
大切先
身幅広め、重い

地鉄:板目、沈む
刃文:不規則な互の目

地鉄は板目がよく出ているが、沈んで見えるので、肌物とみる。
肌物と言えば、新々刀もしくは現代刀。現代刀はなかなか出てこないので、
新々刀か。知っている範囲では、清麿、清水久義、固山にも。
大切先のふくらが枯れる姿、互の目に金筋が所々に入っているのは清麿の特徴。
清麿は値段が張るので、弟子の栗原信秀で入札、同然でした。
正直は清麿の弟子とのこと。清麿系の刀らしい、いい出来の御刀でした。
記 小澤

 

2022.5.22 本部 日野原講師 内山講師


 

 

3.

 

 

 

 

四号刀

銘:於南紀重國造之
刀 長さ二尺三寸~四寸程度、反り、身幅、重ね尋常、中切先
互の目、少し丁子混じる、沸出来、匂口太い、帽子横手付近焼き込んで小丸に返る、砂流し金筋入る
板目肌やや流れる、ややざんぐりした感じに見える

地鉄が全く柾目ではなく、刀の出来からは個人的にはどう見ても南紀重國には見えない
匂口や帽子の形状から一の札は虎徹に入札した


森 光廣

 

 

2022.4.24 中原講師

1.     (月山同然)

 

 

 

2.堀川国広

 

 

 

                                   山崎記

3.則光

                          安田記

 

 

4.初代忠吉

 

 

 

 

彫は埋忠命壽にならった宗長による 刃文が締まる(末古刀)特徴から初代とみる

片切り刃 コンプトンコレクション 担当者欠席により管理人記載

5.清光

 

管理人記 清光にも葉がないものがある 締まった刃、ざんぐり地金

2022.3.27 中原講師

1.



 

 

 

管理人感想 映りはみられない 映りは室町中期まで 刃は非常に明るい

 

2.一平安代

 

 

 

 

 

 

  以上  山崎副支部長記

3.小山宗次

 

                          安田記

4.祐定


備前国住長船彦左衛門尉祐定作  天文十七年八月日
二尺四寸程度 反り尋常 身幅やや広め 切先やや伸びる 三つ棟 鎬高い
広直刃 匂口締まる 匂出来 短めの足、葉入る
帽子小丸に返る 返りは硬く止まる
板目肌 よくつんだきれいな地鉄



管理人感想 新々刀に見える体配 うぶ刃に見えたところはハマチの修正あと

 

5.鬼塚

 

 

2022.2.27 保存会 萩野講師

 

1.肥前兼広

 

2.出羽守行広

  以上 山崎副支部長 記

管理人感想 以前相州広正を分析して出雲砂鉄製であると見極めたことがある。南蛮鉄かどうかは過去に分析された例を見るがよくわからないとの結論であった。通常鉄鉱石で作るとリンが多くなるが、南蛮鉄自体がリン分の少ない材料のようである。

歴史家の加来耕三氏によると戦国時代多量に南蛮鉄が輸入されて刀の材料になったと言われているが、中原講師によるとそのようなことはないとの話である

南蛮鉄はインドのウーツ鋼とおなじょうな成分で、粗製の鉄をルツボ内で炭素を吸収させて銑鉄にし、これを強風加熱してハンマーでうって表面を脱炭素して鋼にしたもの 銑鉄にした段階でノロ成分が分離されるのできれいな鋼になる。現在の玉鋼はノロ成分が入ったままなので折り返し鍛錬して絞り出すが完全にはとりだせない

3.長船勝光

 

 

 

 

 

 

                 安田記

 

 

 

4.兼先 初代 関

 

 

兼先(末関)
平造り脇差、反り深い
板目肌、やや肌立つ
刃文は、表裏で異なる、片面大互の目に飛焼き(皆焼)帽子はやや地蔵風、
もう片面は丁子交じりの大互の目帽子は小丸、どちらも沸出来
皆焼は、相州の皆焼と違いやや作為的に見える

森 記

 

5.大慶直胤

五号刀
出羽国住大慶庄司直胤 花押
文政二年正月吉日

本造刀 2尺3寸4分 反り6分3厘
反深め 中鋒延心 行棟
鎬幅稍狭く鎬高めの造込
地鉄 板目肌細かく詰み、所々渦巻状の杢目肌がみられる。
中程から上半にかけ、所々映りに見える箇所が有る
匂本位 匂口柔らかく稍締心 刃縁沸付く
帽子の返り先は匂口特に締る
全体、特に物打ち辺りに細かい砂流掛る
帽子深く、乱込んで先小丸、長めに返る
刃文 互の目乱に丁字、尖心、箱掛かる乱などが交じり、互の目足逆掛かる
焼元は、大坂焼出風に焼幅の狭い直調の互の目乱から焼出す

■所感■
□時代・伝法
・本刃および帽子共に乱刃 → まず古刀、新々刀を考える
・互の目足が締って刃に駆け出すほど長い 帽子が深く返り先の匂口締る →若い
・焼出が有る 刃文に規則性(一定の幅で同じ刃文が繰り返される)が見られる
 → 古刀期とは考えにくい
・刃文は匂口締った互の目丁字乱で、備前伝と考えられるが
 古作の備前物に必須である映りをみると
 部分的で弱くポワッとした映り状のものが所々に見られるだけで
 古刀期の備前物の映りには当てはまらない
 ⇒ 【新々刀期の備前伝古作写し】と考える
□地方・作位
新々刀ならば、現存(生産)数の多い江戸をまず考える 
新々刀期の江戸での主な刀工群 →水心子系 加藤系 清麿系
【備前伝古作写し】は水心子系/加藤系に多い
今回は、備前伝風の刃文に砂流が掛る⇒備前伝と相州伝のMIX
加藤系(固山/綱俊/細川)には基本砂流等の縦の所作は無い
今回のように、焼元から小模様に低く焼出すものや(今回は当てはまらないが)焼元が潤み心ものは
水心子系の特徴の一つと言われる
また、互の目足逆がかるのは、景光兼光を写した【直胤】およびその一門の特徴とされる
よって、今回は水心子系でもある【直胤】およびその一門ということになる
次に、作位の面で考えると
全体に匂口も均一で刃縁もシッカリしており
叢沸も少ないので、一流とみて、【大慶直胤】へ入札
渦巻状の杢目肌は【直胤】の備前伝映りに顕れるという独特の渦巻肌と見ることが出来る
講師より
「今回のような、2連丁字+足入互の目の繰り返しは直胤に多い」
とのこと

                                 [会員 記]

 

 

特徴的な地金

 

 

 

2022.1.23 本部黒滝講師

 

1.

1号刀 國廣( 堀川 ) ▣❬所見❭ 〇[姿 、造込恰好]
刀 : 2尺3寸位、本造、浅く踏張る、 鳥居反浅くつく、 軽く大切先(大仰ではない)、 身幅やや広い、 やや薄重ね、 真棟、 鎬少し狭い、二筋樋(小鎬地一杯まで掻かき上げる)、 手持ち軽い、 〇 [地肌] 小板目に小杢目交じり、肌は少し立って良く見える、 映り気無し、鎬地は二筋樋の為、肌目は見えない、 〇[刃文] 小沸本位、刃巾狭く、小のたれに所処に五の目が突出して交じり表裏が揃う、横手から2寸下の刃文が刃巾広く五の目吊れて沸よく付く、 匂口やや沈み心に浅く小沸付くが五の目の燒頭の匂口締まる(横手下の2寸は沸よく付く) 〇[帽子] 浅く乱込み先小丸(裏は少し尖り心)で返り浅い 〇[茎] 強めの筋違鑢、 栗尻 、 小肉(強めの筋違鑢) 、 二筋樋は掻き通し様で、茎尻の上で流す、目釘穴下の平地に2字銘をきる ▣ ❬所感❭ [姿、造込恰好] 身幅広く大切先心で、巾に比して薄重ねの造込みから、時代は南北朝、室町時代最末期から新刀初期(慶長~寛永)、新々刀に多見さる。しかし室町末期の先反ではないので、室町末期は否定的。一般的には新刀以降では重ねが厚いものが多いが、新刀最初期には重ね薄目の写し物も見られることに留意が必要。新々刀にも大切先に重ね薄目の物があり得る。[地肌] 肌立つ気味に肌目がしっかりと見えるので、新々刀ではないと考えられる。映りは確認できない。以上から南北朝か新刀最初期を考える。 寛文・延宝期新刀は肌が細かいので、姿も異なるので考えずらい。 [刃文] 焼巾狭めの小沸本位、のたれ心に所々浅い五の目(非尖刃)交じるが表裏揃う、砂流僅か。以上から美濃伝風を想起する。また匂口はやや沈み心だが、刃の低い所には帯状を認め所々の五の目の頭の匂口は締まり心などは、流石に南北朝には見ないので、古刀ではなく大志津、直江志津の美濃上位作は除外出来る。以上から新刀最初期の西海道の確率が大(匂口に帯状心と乱れの頭が締まり気味なので)と考える。 [帽子] 軽く乱れ込み小沸付く、本刃と同様に刃巾は広くはない。表小丸、裏は尖り心となり、表裏とも先掃掛け心。 ▣❬考察❭ 以上の所見と所感から導かれる所は、新刀最初期、美濃伝や関伝風を帯びる写し物ではなかろうか、また帯状に類する匂口を呈する事から、西海道物の可能性がありうる、ということだ。新刀最初期、関風ある(写し物か?)、西海道物か?とのkey wordからは、肥前忠吉の習作時代が浮かぶし、肌立つ所をザンクリ肌と考えれば堀川国広も該当する。忠吉なら小糠肌風があろうが、これはザングリと言えそうな肌立ちだから、国広を選択して入札した。
▣基礎知識 〇この堀川国広には二筋樋があり、茎の先近くで掻流している。平地に2字銘を切って、樋を避けていることから、この樋が生ぶの樋であろうと考えられる。また、ハバキ下の研ぎ溜まりの細樋化も見られ、充分に400年に亘る研ぎ減りが表されていることも、生ぶ彫りの樋であることの傍証となろう。 〇ここで「ザングリした肌」のザングリとは、肌目が立って肌がよく見えるということであって、(新刀堀川物の代名詞か枕詞のように考える方もいるであろうが) 特に図抜けて素晴らしい物を意味するものではなく、要は肌立ち心とほぼ同義である事を、初心の方達に明言しておく。 戦前(大東亜戦争前)は、末古刀の肌をザングリ肌とも呼称していた様である。最近古本屋で350円購入した『名刀虎徹』(小笠原信夫・文芸春秋・平成25年)の本文中で、虎徹の地鉄は詰んできれいなものと、肌が立ちザングリした感じの2種があると記してあり、ざっくり、ざくざくの意 と注記がしてあった。ここで大切な事は、ザングリ→堀川の連想ゲームではなくて、ザングリと表現される地鉄、肌はどんなものなのかを体感、体得することです。も少し広げると、新刀最初期では末古刀然とした地刃の物もみるのである、ということです (文責) 高橋宗

 

 

2.来国次

 

3.

4.来国光

                               安田記

 



■五号刀
銘 豊後国僧定秀
本造太刀 2尺5寸5分
反り 腰反り強め 元に踏ん張り有り
重ね 元重ね厚め 先にいくにしたがって重ね落ち反り伏さる
鎬 高さ尋常 鎬幅ほぼ尋常(気持ち狭め) 行棟
身幅 広め 元幅に比して先細り 小鋒
地鉄 小板目肌細かく沈み心で潤い有り 色黒味掛かる 映り無し 一部白気心有り
匂口 全体的にうるみ心 刃縁沸付く
刃文 焼幅狭い直刃 細かい砂流 元に焼落し有り
帽子 本刃より焼幅狭い直刃 先稍掃掛けて焼詰め風

■所感■
【時代】
腰反強く踏張があり、反りは先伏し心 元先の幅差が有り小鋒の姿から、平安朝末期~鎌倉初期を考える

【地方・伝法】
この時代は主に、
畿内:山城(三条・五条・粟田口) 大和(古千手院)
山陽道:備前(古備前・古一文字) 備中(古青江)/山陰道:古伯耆
西海道:筑前(良西・西蓮・実阿) 筑後(三池光世) 豊後(定秀・行平) 薩摩(古波平)
が考えられる。

・映りは見られない ⇒ 山陽道(備前・備中)を除外
・地鉄は細かiいが肌目が見づらいくらいに沈み、潤いが有り黒味がかる
 ⇒ 山城(三条・五条・粟田口)を除外
・流れ肌はあるものの、柾目鍛えではない ⇒ 大和本国を除外

「匂口が潤む」「焼落がある」などは、古伯耆、西海道諸国共に特徴として挙げられるが
これらの特徴は、時代・地方関係無く『再刃』の特徴でもあるので一先ず置いておく。

古伯耆:地鉄板目肌肌立ち大肌交り黒味帯びる 映り無し 刃文湾れ主体互の目交じり 沸強め
本刀:地鉄肌立つこと無く潤いがあり柔らかい 匂口うるみ刃文焼幅狭い直刃 焼落し
⇒地鉄・刃文共に当てはまらず 古伯耆も除外

∴西海道を考えてみる

【筑後 三池光世】 鎌倉中期の強い姿 焼幅広めの直刃刃縁荒沸付く
【筑前 良西 西蓮 実阿】 流れ肌強く肌立つ気味 焼落は少ない
【豊前 長円】 焼幅広めの直刃 地鉄がことに細かい 磨上が殆どで腰反・踏張が無いものが多い
【豊後 定秀 行平】 『地鉄が特に細かい→行平』 焼落多い
【豊後 紀正恒】 鎌倉中期の強い姿 焼幅広めの湾れ心のある直刃
【薩摩 波平】 鎬高く柾目肌に綾杉肌交る 二重刃/打のけ/掃掛など縦の働が多い

鎌倉中期のような強い姿では無いので【三池光世】【紀正恒】 除外
流れ肌はあるが、綾杉肌は見られないので【波平】 除外
流れ肌目立つほどでは無く、潤いがあり、肌立つことは無いので【良西 西蓮 実阿】 除外

【定秀/行平】【長円】の中で考えるなら
決めては無いものの、地鉄に流れ肌(柾目)が少なく、特に細かいと言われる【行平】へ入札

□講師より、
「本刀は行平の入札で充分」
「敢えて定秀と行平を比べるなら、姿で区別出来ないことは無い とのこと
【定秀】:(粟田口や古備前などに似た)腰反強く先にいって重ね薄く幅狭く先伏し心
【行平】:地方色を感じさせる幅広め元先の幅差が少ない武張った姿

とは言え、武張った姿もより多く研がれれば、先薄先細り先伏し心の姿になるので一概には判断出来ないのが実情か。


以上 [会員 記]

管理人記 流れ肌から波の平を考えたが、別流派である

 

 

 

2021.11.28 本部 久保講師

 

 

1号刀 左

[造込恰好 姿] 短刀七寸半位 平造 反僅か フクラ枯れ気味 身幅狭い 重ね薄い 真棟(狭)

[地肌] 板目に杢目交じり 肌沈みガサつかない 元より白気心に映り入る

[刃文] 小沸出来の中直刃(但し、細直刃様ながらも身幅狭い為に中直刃とした) 僅な小足心入り 直刃に僅な広狭見て、糸を張った様な直刃ではない。匂口やや明るい

[帽子] 直ぐに入り 先尖り心に少し強めにに返る 表のフクラ下に二重刃の如く短い湯走掛かり 裏のフクラには小さな食違い心をみる

[茎] 筋違鑢 小栗尻 小肉(切鑢) 2穴

❬所感❭

[姿 造込恰好] 刃渡り七寸半位で寸詰まり短刀である。僅な反りを持ち重ねが薄い。古刀末期の鎧通し短刀ならば、重ね厚く先で重ねが落ちる造り込みである。小振りで上品な姿と捉えると、鎌倉時代か、短刀製作の多い新々刀時代の作品か等考えられますが、両者は厚重ねが普通で、ここまで薄い重ねは如何なものか?また僅な反は見逃しやすいが、元の踏張で少し反が有る様にみえるのであって、先はほぼ無反に近い。しかし此は研磨による経年変化で、元来の浅い反が取られた結果として、先が無反化した姿になったという考えが、より正鵠を射てるのではないか?と思う(厳しく言うと姿が崩されていると言うこと)。ウダウダと書いたが、打ち立て時はもっと浅く反がついていたと言うことで、反がつくことから鎌倉最末期を含めて南北朝期以降の時代設定が出来るが、ここまで薄い重ねからは南北朝期の作品と見極めらる。南北朝の短刀は、重ね薄く寸延びになるとの特徴を教え込まれているのだが、それは原則であって、その例外の知悉も重要である。代表的なのは、志津兼氏、長舩長義、左文字の三工であり鎌倉期のものと見紛うことがある。姿 、恰好からこの三者が浮かぶが、他の所見も検案せねばならない。

[地肌] 板目に杢目交じりでやや白気心の映り入るが、柾肌や柾流れを見ないので大和物作風ではなかろうと、たかを括る。南北朝の美濃物の兼氏・直江志津や備前の長舩長義にには直刃は先ずない。山城物の南北朝 では信国、長谷部国平にはこの地肌があるやも知れなくて、否定は出来ない。相州物の南北朝期では、この小振り姿の短刀はなく、広光に例外的に直刃を見るが寸延び短刀であるし地沸は強く湯走りの様になろう。もし造込恰好、姿から前記三者が念頭に有らば、消去法で答は出るのだが 、この短刀では最後の帽子が重要となる。

[刃文] 小沸出来の直刃で小模様にゆれ心に小足がはいるのだか、蛙子丁子なら光忠・守家とか、涛蘭乱なら助広・照包等とか、刃文の形態から作者を特定できないのが直刃の悩ましいところであろう。しかし沸の小足が所処に入ることから、乱刃を焼く刀工かもしれないなと、勘繰りたくなる。何れも掴み所に窮するのである。

[帽子] ややフクラ下の刃文が細くなっているのは研磨による後天的な形の崩れであるが、粟田口吉光や新藤伍国光には多見されるとされる。しかし此は来国俊短刀にも見られることで、まとめるならば、フクラ下刃文が細くなっているのは、研磨による経年変化で形の崩れが出たのであり、吉光・国光・国俊に多見されるのは、三者の残存本数が多いからであり、それは先人たちが大切に残そうと努めて来た証であり、本数も多く作られた事を示している。 さて帽子は刀工の技量と特徴が出やすい所といわれている。尖心で少し強めに返る帽子は個性的である。本阿弥光遜の言う「掟と特徴」では、長義帽子と左文字帽子に、先が地蔵や尖って強く返るを見るとある。この条件を加味すれば自ずと大左が選択されるのである。

❬私の入札❭ 1の札: 左文字 当り
刃文や地肌から大左と類推 するのは難。姿・造込恰好 と帽子からしかたどり着け ない ❬初心者へのアドバイス❭ ①南北朝初期に、寸詰まり薄重ねの短刀が兼氏・長義・左文字にみられる ②長義・左文字は尖り心で強く返る帽子を見る ③筑前: 良西─西蓮国吉─実阿─左 入西 (良西・入西は兄弟) と続くとされる。古筑前物は大和伝作風を引く、西国物の古風な作風であり大左が作風を一変させたとされる。この短刀は古筑前物の作風を引きつづき示している数少ない作品例です。 実を言うと、20年前に他の支部の1本入札で、この短刀に新藤伍国光と入れ、外したことがあった。私は基本的に刀一振一振を覚えることはせずに、観刀しながら理論を組み立ていくことを楽しんでいる。そのプロセスで齟齬があれば入札で外すことになる。その後何処で齟齬が産まれたのかを入念に再検討するわけである。なので当たって嬉しいし外しても齟齬のチェックが楽しいのである。また裏年期、裏銘まで覚えて個銘当りを狙う者もおられるが、傷・ハバキも覚えるようである。 そういう方は、当りは取るが刀を楽しんでないばかりではなく、刀の真贋さえ分からないものである。それは偽銘も正真として覚えてしまうからであり、単なる記憶術の名人と成ってしまう。知好楽、知るは好むに如かず、好むは楽しみに如かず、である。楽しんだ者勝ちの鎌倉刀剣会で楽しみましょう❗️ ❬ 文責: 髙橋 (宗) ❭


 

2号 山崎副支部長記

4号

相模守藤原政常
一尺三寸程度の身幅の広い平造の脇差
刃文は浅いのたれ、沸出来、匂口は所々ほつれたり、匂い切れのように見えるところもあり
地鉄はよく詰んだ板目肌、肥前刀や大坂新刀のようないい地鉄

                               森記

■五号刀 刀 銘 長曽祢興正/金象嵌裁断銘
【特徴】
・本造 2尺3寸7分 反浅め 中鋒 刃幅元先に幅有り 行棟
・地鉄 鎬地柾目強く 刃部板目肌細かく詰む
・沸本位 匂口深く 刃縁沸付き地に溢れる箇所有り 指裏に砂流強くかかる
・帽子深め 直状に入り小丸に返る
・刃文 直ぐに焼出し湾れ調小互の目足入
・茎 先栗尻 目釘孔1つ 鑢目勝手下 棟上1/3小肉付く下2/3角(加工跡か)

【所感】
2尺3寸5分前後、反やや浅く、元先に幅差のある寛文の姿
この時代は、肥前>畿内>江戸(含む越前・会津)が8割方を占める

地鉄刃部細かく詰むが、鎬地柾目強いことから、肥前、畿内を外し、江戸と考えてみる

匂口の深い数珠刃風の刃文から、乕徹・興正・法成寺・兼重などが考えられる

帽子は、深めに直、小丸に返る(典型的が乕徹帽子ではない)
また、匂口が不均一刃縁に叢沸付く等の所作から、一流(乕徹)をまず外す

興正 ⇒ 砂流多く、2互の目1対の乱の繰り返し有り
兼重 ⇒ 2互の目+1互の目1対の乱を繰り返し有り
法成寺 ⇒ 直刃主体の互の目乱

今回は、さほど規則的な刃文では無いが、刃縁に叢沸つく(俗に言うバサケる)ことと
2互の目が連なる箇所がいくつかあり、指裏砂流強くかかる所から
まず「興正」と入れる

以上 [会員 記]

 

2021.10.24 中原講師

1.短刀 法光 

1号刀:備州長舩法光作 ╱永正十三年2月日

[造込恰好、姿] 七寸程、平造、やや内反 でフクラ枯れ心、細身で先巾落つ、元重ね厚めで先で重ね落ちる、行棟。

[地肌] 小杢目肌に板目交じり、少し肌浮くが冴え心有り、明るく冴える心で良質感あり、映りを見ない、刃中刃肌立ち心

[刃文] 中巾で、匂出来、小沸つく処もみる五の目乱、焼頭に小足入りを見る、元方やや台形掛かり先方で腰開く五の目、先で本刃と棟焼が繋がる処が見られて皆焼様を呈する、棟焼は五の目乱(本刃より小模様)となりで元まで下げる、匂口明るく冴えてしまり心。

[帽子] 深く焼き、倒れ心に表小丸裏地蔵風で異なり、返り棟焼となり下げる。刷毛心少し。

[茎] 勝手下がり、栗尻、角棟(勝手下がり) 1穴

❬所感❭

[姿、造込恰好] 長さ七寸程で細身であることから寸詰り短刀と考える。内反で、元先の重ねに差が大きい。以上から、鎌倉末期、南北朝期、室町初期の典型的な姿や造込恰好ではなく、室町後期の戦国時代に多見さる鎧通しと考えらる。鎧通しは諸刃造り短刀と同様8割方は末備前一門で産出している。

[地肌] 明るく冴えて良質感ある事から、古刀の五箇伝本国物を考えると、柾目がないので大和物や美濃物は優先順位が低いと考えて一応除外しておく。末の山城物、末備前、末相州が残るが、映りがないからと言って備前を外すことは出来ない(末備前では映りを見ない物もよくある)。しかし末山城物の短刀は、極端に残存本数が少ない (平安城、三条、鞍馬関等位しかない)事が現実である。彫り物でも有らば棄てきれないが、優先順位は低く一応除外する。残りは末備前と末相州となろう。

[刃文] 匂出来に小沸つく処も見る五の目乱で皆焼様を呈する箇所を見ることから末相州物を考えるが、私見では地肌が末相州としては良質だと感じられてならない。また元先で刃文の調子が変わる様子から一流でなくランクを下げる見方が必要と思われる。 [帽子] 表裏異なるのでややランクが下がる技量かと考える。しかし、返りを五の目乱で焼下げてるが匂口は締まり心で匂出来となるので、相州よりは備前かなとも思われる。 ❬私の入札❭ 一の札: 末相州広次 否 出来すぎの広次と見ての札 ニの札: 末備前法光 当 末備前とみるなら二流鍛冶 の幸光、賀光、在光、法光 等から選んだ、単に 祐定 と入れるも可であろう
地肌の良質感や匂口が締まって明るいさまは、刀剣王国備前を示していたが、皆焼=相州物という概念に拘泥し過ぎた結果、一の札では仕留められなかった。講師中原先生から末古刀の皆焼についての解説も頂いた。 ❬末古刀の皆焼について❭ 皆焼は南北朝期から出現し、相州広光や秋広、長谷部国重(相州説あり)等から始まるが、残っている作品数は少ない。相州伝皆焼は先の方で飛焼が多くなるが、他の国の作品ではそうならないことが多い(高田友行、長舩兼長、兼重など)。室町期になると全国的に皆焼を見るようになる。西海道で平高田、金剛兵衛、末波平、大石左、南海道で簀戸国次(短刀)、山陽道で末備前、古水田、末三原
、山陰道で広賀、忠貞、北陸道で冬広、浅古当麻、宇多、東山道で関、畿内で、鞍馬、平安城、後代信国、末手掻、加賀四郎資正、東海道で千子、島田、末相州、下原 で皆焼を見ている。室町期皆焼を鑑定する場合は、飛び焼、棟焼を除外して本刃を中心にして考えると解りやすいとのご教示を頂いた。 ❬初心者へのアドバイス❭ ①長さ、姿、造込恰好から室町後期の鎧通しである。(それには鎌倉中期からの短刀の長さ、姿、造込恰好の変遷を既知の物にしておかなくてはなりません。) 寸詰短刀で鎧通の短刀は、当時全国的に作られてますが、残存本数の8割方は末備前作で、末関、末相州と続く。短刀の定寸は八寸~八寸五分、それより長いとき寸延びで、短ければ寸詰まりと呼称されて、時代判定の重要ポイントです。 ②皆焼、又は皆焼掛かってる事が解れば、時代の上限は南北朝期以降となります。 直刃を除き、刃文には歴史的に出現時期がわかっている。 ③室町期では、皆焼は相州物だけではなく全国的に見られます。美濃伝を除く他の四箇伝は、鎌倉期から南北朝期の代表的作風とされてます。しかし室町期では、美濃伝を除いた四箇伝による作風分類はあやふやになってしまうことを知っておいて下さい。 因みに古刀五箇伝は室町期から蓄積された経験的知識を、明治から大正期に掛けて本阿弥琳雅、弟子の本阿弥光遜(光味系の光賀の名跡を継ぐ。本阿弥光蓮先生は光味系本家)らが編纂し光遜が命名した、作風による刀剣分類法です。間違っても、五箇伝は江戸時代から存在し常用され、人口に膾炙するされてきた物ではありません。ある意味、本阿弥家の都合で編み出された要素も含まれているとも考えるべきです。しかし五世紀にも渡って蓄積された知識と経験は本阿弥家にしかなく、他家の追随を許すものではない。つまり本阿弥家以外には刀剣分類法は作り出せなかったとも考えられます。。しかし今後は非破壊的科学的分析技術を利用して、高精度な刀剣分類が可能となり、結果、大磨上げ無銘の時代的妥当性や再刃の可能性の判定ができる時代が到来するでしょう。(但し利権絡みで強く反発する人達はいるでしょうが)。従来の五箇伝鑑定法に科学的判断が併用される事は必須となろう。もし日本でやらないなら海外からの外圧が加わって来るかもしれませんね!先進国では美術芸術工芸品の科学的検査は必須事項です。 ④地肌の良質感や、刃文の匂口の明るさ、締まり心、フックラ感などは実刀に触れて会得しなければ解らないことです。 講師や先達の方たちに教えを乞いましょう。 ⑤茎は刃渡りに比して茎が一握りの長さであり長めなのが鎧通しの特徴です。 ❬文責:髙橋(宗)❭

2.兼房

2号刀  小脇差 銘 →→ 濃州関住兼房作
      姿 →→ 長さ 1尺2寸3分 平造り 庵棟 重ね頃合い
      地鉄 →→ 肌立ち気味 棟よりに顕著ではないがやや柾気あり
      刃文 →→ 匂出来 焼き幅広い 互の目丁子崩れに少々飛焼き有り 所々に尖り刃、 
      帽子 →→ やや地蔵風で返り深い
      茎 →→ 栗尻気味
  <所見>
      未だ、御刀を観る目が養われてなく恥ずかしい所でございますが
      恥文での所見、何卒お許し頂けましたら幸いです。
      なにぶん初心者目線の所見ですので詳細等は諸先生方にお伺い頂けます事、切に希望いたします。
      
      はじめの初感は自分の知識を巡らして「脇差、地鉄の雰囲気、匂出来、乱れ刃の中に尖り刃、帽子の返りが深い」かな?
      と、不安な気持ちで「末関・兼定」で最初入札しました。答えは「同然」と初心者採点を中原先生はして下さいました。
      先生の解説で改めて関伝の抑えるポイント → ①地蔵帽子風 ②表裏ほぼ揃う刃文 ③棟よりに柾肌 をご教授して頂き、
      又、参考書などには④匂出来 ⑤尖り刃が混じる ⑥帽子の返りが深くきつく止める など書いてあります。
      初心者の方はこの辺りを確認されても良いかと思います。
      参考書に載っている顕著な「兼房乱れ」までではないにしてもこれもその範疇なのだと確認できで良かったです!
      あと、「延文貞治型」がまだ苦手なのでその辺りを慣れていきたいと思います。美濃(関)伝の深さに最近ハマっています!
      この度も諸先生方、ご指導ご鞭撻、誠にありがとうございました。 (担当・大畑) 

3.忠吉3

以上安田記

4.祐定

刀、銘表、備前国住長船与三左衛門尉祐定  裏、天文七年二月日
姿、長さ二尺一寸強、反りやや深め、鎬造り、庵棟、やや先反りがつく
地鉄、板目肌やや肌立つがよく練れていていい地金
刃文、匂出来、互の目乱れ、互の目の腰が開いている、映りはない
帽子、乱れて返る


5.小山宗次

以上 山崎記

2021.7.25 保存会 萩野講師

今月より幹事5人でコメントを書きます。質問があれば問い合わせメールをお願いします

1.太刀 備州長船康光 正長二年以下不明 長さ 二尺六寸九分五厘                鎬造り ややすりあげなれど反り高めで踏ん張りあり、元先の差開き中切っ先、フクラかれぎみ 鎬巾広め、地鉄小板目肌つみ ものうち付近に映り気あり 刃文 直刃調小グノ目で匂いで尖り焼き低め 帽子乱れこみ先は尖りごころ 茎尻切り 穴2つ

一見鎌倉時代の太刀姿にみえるが、先反りがつく、元重ね厚く先薄い点より時代を下げてみること                           以上 安田記

2.脇差 安信 

大振りな2字銘  長さ1尺6寸 反り4分   時代 天文ころ        

造りこみ 鎬造り 元巾ころあい、先巾狭くなる、鎬巾広く行の棟 重ね薄くなり鎬筋高い 中切っ先伸び心  

地肌 板目流れ、元板目おお肌となり強くながれる 地鉄黒味をおび映り立つ 映りとともに沈みこころ、濁りこころあり   

刃文  沸出来 焼き巾狭めに行草のグノ目尖りごころに交わり元から先まで連なる 刃頭に沸強めの砂流し長くかかり二重刃風 

帽子 焼き細目フクラに沿い焼きつめこころ帽子のに沿い二重刃かかる 

茎 上に比べて短い 平地 鎬地 肉つかず棟肉少しつく ヤスリ切   茎尻方そぎ風(加州新刀のようにきっかりとしていない)


所見 沈みこころ 濁りごころのある地鉄であるが映り全面にたち連なる刃と小太刀姿、備前の作が落ちる小反りあたりにみえる。しかし良くみると造りこみ、刃の二重刃、切っ先の焼き詰め帽子、より大和風がつよく、黒味のある地鉄や其の他本国より作位が下がることから大和風の地方作、宇多の応永以降にみれば十分である。初代正信は京信国の系統といい、在銘、無名、極めともに信国ににて作位の劣るものとしている 本作は上代の正信と共通するところがなく山村の系統や技術を継ぐものか不明 山崎記

3号 越後守包貞

長さ 2尺3寸5分 反り3分
形 鎬造り 踏ん張りあり 反り極めて浅い 中切先 身幅元先の差あり 重ね厚め 庵棟 鎬標準 
肌 詰んで地沸えあり 映りなし 鎬地柾強い
刃文 沸え出来 棟焼きなし 大五の目、谷直刃、飛び焼きあり。ややとうらん風
帽子 小丸下がり 
茎 姿が直線的             小沢記
     

4号 脇差 銘 摂州住藤原助広

長さ1尺5寸7分 反り5分3厘

本造 踏張つく 鳥居反りやや深め 中切先少し延び心 並巾で先少し落ち心 重ねやや厚目で先少し落ち心 行棟 鎬少し高目で広目 (心の声: 長さからは慶長新刀姿だが、それにしては反り強目。だが寛文姿とも言い切れない。姿からの時代判定が難しいかな、また鎬高く広目の点も特徴かな⁉️) 肌: 小板目詰み練れ肌沈むが綺麗で、少し流れ肌交じりも良質の肌、薄く乱映り出る。鎬地柾肌綺麗に詰み、鍛え割れなどはない。

(心の声: 良質の肌で映り有り備前伝、鎬地割れ入らず。少し流れ肌交じるが二流鍛冶までさがらない出来だなぁ!) 刃文: 焼出しなく焼巾は並 匂出来に小沸つき心の小丁子乱小詰み丁子足が多く入る。 足入りが切れて点々と匂崩様になるをみる。指し表の横手下にポコリと袋丁子様(丁子が合体したような) 乱が飛び出す。また物打ち辺に尖り心の蛙子丁子の頭が千切れて小さな点様に成った飛焼風の焼がみられる(この所作はこの刀工に良くみられると後の解説説明されるも、この時点では知る由もなくスルー、さて誰でしょう⁉️)。匂口はやや明るく締まり心 (心の声: なかなかの良作だが少し小沸付いたり、刃が小詰むことや匂崩が入るなど超一流にはもって行きずらいなぁ)

帽子: 浅く乱心ではいり細く成り、先で小さく小丸、返りは横手線までタラリとかえる。(心の声: 細目で狭い焼きは減ったからか?大坂なら小丸下がりだろう、超一流にはいけないなぁ )

茎: 大筋違鑢 少し刃上り栗尻 棟小肉(大筋違鑢) 「心の声の総括と入札への思考プロセス」: 長さからは寛文姿ではない(寛文なら1尺7-8寸)、焼出しない小丁子乱、少し逆掛かる処、横手で大き目に飛び出す袋丁子(1つだけで裏面に無いが、、)、刃中の部分的な匂崩、良質感あるも僅に交じる流れ肌、作位少し落ちる帽子、鎬巾 広目で高目、淡く乱れ映り入る→新刀備前伝の作者❔以下が思い浮かぶ 畿内:大坂石堂、中河内、大和守吉道、近江守忠綱、江戸:江戸石堂、西海道:筑前石堂と信国、藤原高田、北陸道:加州新刀…、、、、 超一流ではなく、匂崩、柾交じる肌、鎬巾広め高め、飛び出す袋丁子等 からすると、(姿の時代性が合わないが、、、)筑前石堂と探りの入札をすることにした。つまり自信はないのである。入札① 筑前石堂守次 答 否(イヤ) →刀剣を勉強するための鑑定入札ゲームで、古刀、新刀(新々刀も分けるべきと私は考える)の区分はあってるが、国が違い当然のこと街道(五畿七道)も違うのを否と言う。それは他の街道での刀工を選んでくださいと言うヒント。

(心の声:否か! しかし全くの石堂風の作風とは考えかねるので大坂、江戸石堂にはなんか行きずらい。そこで意を決して講師荻野氏にこう尋ねてみた) 入札済みの用紙を示して「否縁有りではないのですね?」と! そこは百戦錬磨のベテラン講師の荻野氏である。私の意を直ぐに解して(石堂以外を考えてるなと直感してくれて)「縁有りではないです」と即答していただいた。これは出題刀が難刀であることから、応えた頂けたと考えます。この際に聞き方には少くともルールがあると私は考える。ここで「四号刀は福岡石堂でイヤですが縁有りでは無いのですか?」と周囲に聞こえる様な大声で話しかけては駄目。懸命に考えている入札者の耳に入るとその思考回路が邪魔されるし、それ自体が大変なヒントだからである。此を我々は耳鑑定といい恥ずべき事とするが、意識なく大声で話せば聞きたくなくとも耳に届いてしまい、結果耳鑑定になり、自分の考えなく簡単に当り同然が取れる事ともなる(この場合は自分の勉強にならない)。私はこの状態が発生すると興ざめしてしまう。真剣に対峙している者にとっては思考回路への大変な迷惑以外の何物でも無い。そう考える私なので、入札用紙を見せ示して「縁有りでは無いのですね?」と言い「縁有りでは無い」と荻野氏は 応えた、そのやり取りを聞いても、聞こえても耳鑑定は出来ない内容である。この位の周到な配慮が、入札鑑定勉強会では当たり前と考えなくてはならないでしょう。 さて 入札①イヤ縁無し(この答え方は普通はあまり無い) からして石堂は除外すると、 先に記述した諸工中から誰を選択するか?‼️ (またまた心の声: 畿内か北陸道か? 加州なら平地の柾がより強くでて鎬地割れが入る程柾が強く掛かるのでは? 中河内、大和守吉道、忠綱には焼出あり特徴ある丁子です、だから選べません。すると焼出無いが詰んだ肌から大坂(京で石塔以外に本格的丁子やる刀工は無い)で考えざるを得ない。大坂で否なら、その時はまた考えるとして、では誰、、、、?そうだ😃💡あの刀姿(1尺5寸位、反は強めだが) を慶長新刀から少し下った寛永~正保頃の姿とすると、、、、この時期に丁子やる刀工がいた! 完全に忘れていた、しくじった‼️ そこで 再入札② ソボロ助広 当り となったのである❗ 反省:①時代を慶長と寛文の中間と押さえることができなかった。 ②丁子乱の候補者にソボロ助広を忘れていた。実に忘れやすい刀工である事は間違いない。(残っている刀数が少なく、出題される事が少いからである。) PS: 今回はベテランも解説を読んで確りと刀の特徴を想起出来るようにと(押し形、写真がないが)、また初心者には、押さえて欲しいポイントが有ることを理解し鑑賞する時確りとそれらの情報がとれるように、そして其れを元に、どの様な思考プロセスを経たのかを理解していただけたならご自分の勉強に役立つのではと、長々と示したつもりである。いろいろなレベルの方たちに参考に為れば幸いです。長い文章、最後まで読んで頂き有り難うございました。 あと初心者講習会で関連性ある脇差をお示ししたので、一緒に読んで頂けると有難です。 おつかれさまでした。(文責: 髙橋・宗)

5号 脇差、銘表、於江府長壽斎綱俊  裏、長運斎是俊  文久三年二月吉日
姿、長さ一尺六寸六分、反り四分、鎬造り、庵棟、中切先延びる
地鉄、よくつんでいる、無地風
刃文、匂出来、丁子乱れ、濤乱風にも見える、焼刃の頭はそろう、大坂焼き出し
帽子、のたれて返る
茎、栗尻、化粧鑢             以上森記

 

 

2021.6.27 中原講師

一号刀 了戒重能

二号刀 赤松政則

三号刀 祐定

四号刀 和泉守藤原国貞 

五号刀 光忠


 

 

2021.5.23 本部久保講師

1.短刀 保昌 真典 柾目流れ、直刃乱れ 鍛え傷あり(保昌の特徴)

2.太刀 尻懸則長 金象嵌特別重要刀剣 鎬高く思い 柾は強くなく乱れる

3.太刀 小反り師光 永和26年 棒映りあり 子模様の尖り刃が特徴   

    応永ならおおらかな開いたハモン、末備前なら複式の丁子

4.菖蒲作りの脇差 和泉守国貞 勝負作りは慶長の特徴 峯焼あり 国助なら丁子になる

5.興里  はね虎 虎徹帽子だが足は細い

 

2021.4.25中原講師

1号刀 三条ヨシ房(ヨシ=ニンベンに乃)
鵜の首両刃造 6寸6分
彫り物は素剣・梵字 刃肌立つ 板目流れ心
刃文沸出来直調浅くのたれ心 三つ棟


2号刀 若州冬廣
両刃菖蒲造 7寸7分
反り有 肌詰む板目 細樋が鎬筋上に入る 小沸出来直調小乱れに箱乱れ


3号刀 石堂是次
1尺8寸 鎬造脇差 三つ棟 鎬地柾 鎬筋辺にうつり 棟焼き有
反り有 地鉄は柾肌詰む 帽子小丸で一枚風に返る 
刃文は鎬筋にかかりそうな程焼巾広く表裏調子が異なり、匂出来で巧まない呉の目丁子


4号刀 金房兵衛尉政次
2尺1寸 鎬造 打刀
刃文は匂出来小沸付いてのたれ調に小乱れ混じる 玉焼もある
上半部は刃文大人しい 鎬地辺にうつり有り 踏ん張り有り
鎬地柾 地鉄肌立つ板目


5号刀 長船次郎兵衛尉永光
2尺3寸 鎬造 刀
反り浅め 中切先 庵棟 刃肌立つ 刃文は直調小足入り砂流しかかる
地鉄は板目流れて肌立ち心 鎬地柾
今回も阿部さんに記載してもらいました

2021.3.28 中原講師

 

1号刀 与三左衛門尉祐定
六寸五分 寸詰短刀 匂本位に沸付いた直調刃文 彫物は「三」という文字と蓮台
廃仏毀釈の際に奉納銘とともに「三十番神」という文字を消されたものか

2号刀 次郎左衛門尉勝光
七寸 寸詰短刀 茎が長い 地鉄は板目に杢混じりで良く詰み、刃肌が立つ
帽子の返りが深い

3号刀 石堂是次
一尺八寸 鎬造 元先差有 反浅め 中切先 うつり鎬筋辺に現れる
鎬地、地鉄共に柾目肌 真の棟 丁子乱れ
帽子乱れて小丸となるが、乱れの部分は横手を下げたため

4号刀 近江大掾、陸奥守合作
鎬造脇差 イオリ棟 中切先伸び 元巾広め 小丸帽子
表裏刃文も焼刃の高さも違い、指表は直調浅いのたれに足入り、指裏は頭の揃った呉の目丁子
技術の高さが際立つ

5号刀 七郎衛門尉祐定
二尺一寸四分少々区送り 鎬造イオリ棟 鎬地流れ肌 刃文は匂出来の中~広直刃に坂足入り、物打辺賑やかになる
刃中の働きは少ない ふんばりあり 元先の差少ない 帽子は一枚風で深い 重ね厚め 反り有り

 

今回は阿部さんに記載してもらいました

 

 

 

2020.11.22 本部久保講師

1.安綱 古備前に見える 地金おお肌 焼き落としアリで区別

2.来国光 中間反りの優しい姿、京風の逆足入る

3.長谷部国重 重ね薄い 返り深い

4.信国(応永)鎧どおし 箱型のグノ目 沸づく 彫りあり

5.綱広(犬養朴堂)太刀写し、直刃、足入る 三鈷のグリップ部がひし形になるのが相州の特色

綱広の三鈷

堀川国安の三鈷 京都、備前はまるくなる


村正

 

一竿子忠綱

 

埋忠妙壽

 

肥前忠吉

 

2020.10.25 中原講師

1.短刀6寸 備前国住長船彦兵衛彦三郎作    文亀元年八月   忠光作と推察される 亀の字体が忠光が使うものであるから

2.相州住広正同文 文安4年 末相州は沸できではない 文は彫るという意味もある

 

3.近江大掾藤原忠広 帽子は研ぎ減り 帯状のハモン

4.(加州)藤島友重 なににでも見える→地方作と考える 帽子乱れる→室町 13c以降北陸では製鉄はしていないので地金が黒いから北陸ものとみることはできない。拭いで黒くしているだけ

5.備州長船六郎左衛門尉祐定作 直刃、棒状の映り 応永以降の備前もの 短刀は鎌倉期でも棒映りある

2020.9.20 中原講師

1.三笠刀 堀井秀明 戦艦三笠の砲身を利用したと言われる 柔らかい直刃で金筋からむ 柾

この刀の材料は三笠の砲身内側をおろし金にして玉鋼と混ぜたと考えれれます。当時の鋼は銑鉄をマンガンで脱酸していたので、非常に焼き入れされやすい性質があります。細かな金筋がみえましたがこれは砲身部分が出ているのだと推定します

 

2.現代刀 柴田果 水戸裂公ににた松皮肌

 

3.関兼貞 匂い口しまる 地蔵帽子

4.親国貞 とうらん風 大阪焼きだし 助直にも見える

反りが深いのは 元禄か寛永 元禄は先と元の左がすくない

 

5.親国貞 匂い口しまり 末古刀の流れ 新刀特伝 小沸 焼きだし、のたれ

 

2020.8.22 中原講師

1.法光 短刀

2.祐定 両刃

3.肥前宏則 刀

4.肥前吉�包 刀

5.石堂是次 刀

2020.7.26 会員持ちよりによる鑑定会

1.陸奥守忠吉

2.紀州石堂康綱

3.伊賀守金道

4.鈴木貞則 井上真改の弟子

5.山名時吉 薩摩新々刀

6.豊島正傳 正繁門人

 

 

2020.6.28 中原講師

1 備前国住長船与左衛門尉祐定  天正八年二月吉日 

7寸八分 ハモンはそろわない(時代が下がる) 少し長い 

2.清人 おそらく作り

金筋、すながし少ない この形は島田助宗がはじめで、清麿一門が得意 グノ目

3.忠吉 八代 脇差 1尺5寸 直刃 帯状の匂い口 帽子そり深く匂い口しまる

4.堀川国安 片切り刃 大切っ先 表片刃 裏 本作り 三峰

この形を作るのは 来国俊 肥前 堀川 三品 出羽大掾国路は三品門から堀川に移動したのでわからないときは国路と書いとくと同然がとりやすい


5.石堂是一 映り立つ、柾目ながれる 焼きだしあり 丁子

柾目は是一 是次(九州)頭はイカ状になる

 

2020.3.29 中原講師

1号 刀 備州長船藤原勝光 永正三年二月日 代一貫五百文

2号 刀 丹波守吉道

3号 刀 備前国住長船勝光宗光 於平安城作之 長亨三年二月吉日

4号 刀 備前国住長船与三左衛門尉祐定 天文七年二月日

5号 刀 弘化二年辰巳二月吉日 忠吉作 依兄吉川君所望打之

2020.2.23 佐野講師

1.因州景長 短刀 細身 美濃なら身幅あって元が太い 地肌あれる(備前、山城ではない)

 

2.出羽大掾国路 三品風帽子

 

3.初代国包 すだれ刃風 吉道に間違う 柾鍛え

 

 

4.尾張貞次 直刃 優しい形 慶長なら踏ん張りある 寛文なら真っ直ぐ 元禄頃

5.水心子正秀 無地金 荒煮えのとうらん


 

2020.1.26 本部 大井講師

1.刀 備前国住長船与三左衛門尉祐定 天文二二年二月吉日

上 祐定 下 盛光 腰の開き方に差がある 祐定は丁子が真っ直ぐに伸びる

2.刀 国広 堀川国広の志津写し 大切っ先 だんびら作り

3.細身短刀 備州長船兼光 延文五年三月日

片おちグノ目 元重 景光なら小ぶりの短刀となる

4.刀 板倉権之進照包 延宝八年二月吉日

上 照包 下 助広 照包のほうが波のパターンが造形的 3つづつならぶ

5. 太刀 安綱 ざんぐりとした地金

2019.11.24 本覚寺 本部 大井講師

1.金象嵌助真 おにぎり型の丁子 豪造な作り

 

2.水心子正秀 助広写し つんだ地金、地沸あり まっすぐな焼きだし

3.延寿国助短刀  来に見える 肌がつんで綺麗 いいものはきれいなものがある 

4.冬広 焼きだしあり 反りの深い姿だが腰ぞりはない 末古刀の見どころ 


 

5.大和守安定 表裏彫刻 鎬低い 足の太い沸き グノ目

箱型の大グノ目 虎徹にはない 刃のさえも虎徹より劣る 低い鎬が特徴だが法成寺やそのた寛文新刀にもあり決めてとはならない

 

2019.10.27 本覚寺 会員持ちよりでの鑑定会

 

1.大すりあげ国俊 姿優しい京反り 刃中の働きが見どころ 淡く映り立つ

2.短刀 備州長船幸之 大永 つんだ地金が極めどころ 腰の開いたハモン

3.武蔵大掾藤原忠広 南北朝写し

4.越前康継 五百八十歳 裏銘あり 奉納品と思われる


5.宗弘欄間透かし短刀 岩崎百祐彫り

6.小沢刀匠 裸焼きの脇差 映りあり 丁子刃

2019.9.22 本覚寺 中原先生

1.兼房 兼房乱れなし 表裏そろうハモン=関の特徴 ヤスリ目は均一ではない

2.備前長船〇家 (小反り) 1尺余の短刀 =室町初期 盛光、康光でなければ小反り          刃が逆がかる バランスの悪いハモン

3.勝光  守家風のハモン  本作りの脇差=室町初期から 乱れ映り 腰開きの刃文=勝光         本作りで棒映り= 応永より後                                 平作りで棒映り=鎌倉末から                                   刃肌が目立つ=二流

     

4.金道  天正頃 表裏そろう 帽子深い

5.薩州住清〇  波平と同然                                         細直刃=月山、金剛兵衛、波平、 全定金吉、相州上位にもあり

 

2019.8.25  中原先生  本覚寺

1.備州長船祐定作 諸刃短刀 与三左衛門なら刃がそろう

 

2.播磨大掾重高 新藤五写し 内反り→古い→返り深い→写しもの

考えられる作者 堀川、三品、肥前、越前

 

3.肥後同田貫宗広(新々刀) こずんだキブイ刃=新々刀の特徴

 

4.興里 金象嵌の上にヤスリがかかっている 江戸後期になると切りつけ銘になる


5.小山宗次 初期のものは匂いぐち広く丁子乱れ

大野義光 山鳥毛写し ひさし状のハモンが特徴

 

 

2019.7.28 佐野講師

1.綱広短刀 天文27年 渦巻状のチケイが初代の決め所

 

2.伯州住広賀 天文5年八月 綱広門 映りあり 先細り→いなかくさい

3.肥前国住大近江大掾藤原忠広 直刃

4.奥大和守平朝臣元平 沸強く粗い

5.仙台国包 沸強い 直刃 いもつるない

 

2019.6.23 中原講師 617回

1.備前国住長船清光 諸刃短刀 本刃より峰が乱れる→一流にはない

 

2 備州長船則光 寸延び短刀 永享十一年八月 棒映りあり→備前もの

3 備州長船盛光 脇差 方落ちグノ目 応永三十二年八月日

永の字は室町後期から永だがそれ以前ではナベブタの永を使用 ただし文章では鎌倉時代の文章でも永を使用したものがある(東京大学資料編纂所)

4 高田住藤原統行(末古刀) 葉あり 表裏でハモンが違う

5 備前国住長船祐定 大永二十二年八月火 葉あり

 

2019.5.26 本部久保講師 616回

1.南紀重国 帽子まるく帰る 片側やきつめ のたれ丁子混じる

2.新藤五国光(短刀) 三峰、二重刃かかる 吉光に見える

3.元重 方落ち五の目 関風の帽子

4.来国俊 細身の太刀 中間反り 乱れが京風に逆足

5.こぞり次行 小ずんだ刃が盛んに入る

2019.4.28 中原講師 615回

1.兼則 寸延び短刀 表裏合わせたハモン=室町後期 △屋根風のハモン 

2.藤原直胤 丁子足長い→新々刀 焼きだし刃がしみる→水心子

3.忠国 身幅広いグノ目丁子 アブの目風

 

4.薩州住平忠金作 荒沸、いののつる→二流 いいものは出ない

 

5.金道 三品帽子、矢筈ハモン

 

2019.3.24 中原講師  614回

1.正真(伊勢) 志津なら沸づく 末関は匂い出来

2.直胤 グノ目 杢目出る 長い足は新々刀 古刀は短い

3.奥元平  いものつる多し きれいな地金 丁子

4.肥州平戸正重 帽子の帰りが凹むのは一流ではない

 

5.仁王 作位下がる (備前ではない) 大和伝

2019.2.24 佐野講師 613回

1.兼元 三本杉 地金つむ

2.陀羅尼勝国 (加賀) 孫六写し得意

3.水戸徳宗 石堂に見える 映りなし

 

4.吉道

5.吉道

 

6.忠広

7.6代忠吉

 

2019.1.26 本部講師 612回

1.正宗 短刀 そりなし

2.粟田口吉光 短刀

3.来国光

4.(堀川)広実 大切っ先

5.石堂是一 沸できの丁子

2018.11.18 会員持ちより  611回

1.兼房 柾強く 反り少ない細身

2.兼房 兼房みだれ

3.氏房 村正似の箱みだれ

4.兼房

5.清光

2018.10.26 本部講師 611回

1.真則 (太刀)

2.長光(太刀)

3.来国次 (短刀)

4.宇田国房(短刀)

5.武蔵大掾藤原是一(刀)

2018.8.9 中原講師 610回

1.備前長船経家 応永33年八月日 脇差

2.河内守藤原国助

3.内藤瓦金応好 小山備前介藤原宗次鍛之 嘉永2己酉年八月25日式〇於千住 試〇金土壇払 切手後藤新太郎

4.築州福岡住守次

5.備前長船祐定 永正七年八月日